びっくりする記事を読んだ。アメリカ合州国の国民の43%が家庭では英語以外の言語を話し、L.A.ではそれが53%だという。今さら何だと言う勿れ。恥ずかしながら僕はここまで事態が進んでいることを知らなかったのだ。
容易に演繹できるように、そこにはコインの両面がある。このグローバリゼーションの時代、出身文化や言語を併せ持つ国民が多いことは文化的にも(、合州国の経済的競争力の観点からでさえ)よいことだとする見方や、出身文化との絆を維持することは意義があるとする見方などの積極的な立場と、バイリンガリズムは国家・社会アイデンティティの統一性を阻害するとするナショナリズムや、バイリンガル国民は平均所得が低いという統計を基に彼ら自身の社会内上昇が阻害されているとする見方などの消極的な立場、である。
ことは単純ではない。僕の子もほとんど家庭でしか日本語を話さない生活に入った。ふと気づくと、まるで日本語の上級クラスだなと思いながら彼女に色々な日本語の表現を教えている、という時間も増えてきた。彼女自身の選んだ道だとはいえ、いきなりブルガリア語・英語(両言語ともゼロスタートに等しい)とのトリリンガリズム生活に入ったのだ。さぞかし大変だろう。しかし、僕などには想像もできなかったような未来の可能性が彼女の前に開かれていることも事実である。
絶対的な正解値などは存在しない。それぞれの個人が、それぞれの家庭が、それぞれの地域が、それぞれの社会が、自分たちにとって最も良い道を模索してゆくより他はないのだろう。
http://www.latimes.com/news/la-me-language13sep13,0,1770506.story?coll=la-tot-topstories&track=ntothtml
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